プラハからのエクスカーション



日帰りで訪れる

●ヴィシェフラド(プラハ旧城) ……別途、紹介予定。


●古城めぐり
 ……なぜか日本の旅行会社主催のツアーは、カルルシュテイン城とコノピシュチェ城のセット。

○カルルシュテイン城

 プラハの南西約25km。

 ボヘミア王にして神聖ローマ皇帝カレル4世によって14世紀に創建され、当時は王族の住まいとして、また、王族の財宝を保管する要塞として利用されていた。

○コノピシュチェ城

 プラハの南約44km。ベネショフの町外れの森の中。

 チェコやドイツ貴族の手に次々と渡った末、最後の城主となったのはオーストリアのフランツ・フェルディナント・デステ皇太子(1864〜1914)※。

 なかでも狩猟で捕らえた獲物たちのはく製が見もの。(フェルディナント公は狩猟が趣味で、生涯に約30万頭もの動物=1日平均で15頭を狩ったという)

 ※1914年6月28日、サラエヴォでセルビア人の青年ガブリエル・プリンツィプに狙撃されて死亡。(第1次世界大戦の始まるきっかけとなった、サラエヴォ事件)


●テレジーン
 ……ツアーでも、旧東ドイツから入ってくる場合、立ち寄ってくれるのではないか。

 プラハ北方にある小さな町。町の少し南に小さな要塞があり、オーストリア=ハンガリー帝国の時代には牢獄として使用されていた。

 サラエヴォ事件の主犯でオーストリアの皇太子を狙撃したプリンツィプも、ここに収容されていた。

 第2次大戦中、ナチス・ドイツはここに当時のチェコスロヴァキア国内最大の強制収容所を造り、
 16万人以上のユダヤ人やチェコ人、スロヴァキア人のレジスタンスなどが各地から送り込まれ、
 そのうちの3万6000人がオシフィエンチム(アウシュヴィッツ)やビルケナウ(第2アウシュヴィッツ)へ送られて殺されたという。

 1945年5月7日、ソ連軍によってこのテレジーン収容所は解放された。

 要塞跡の正面には、ナチスによる2万9172人の犠牲者を葬った国民墓地が設けられている。